日本におけるジェンダー・セクシャリティのこれまで

  • はじめに

 性別や性自認性的指向によって偏見や差別に曝される人々の自由と平等をかけた闘いの歴史は長い。反差別活動が活発化したからといって、メディアが差別を意識し始めたからといって、すぐに自由で平等で多様性のある社会になるわけではない。

 2015年は「LGBT元年」だと、日本の様々なニュースサイトや番組あるいは”LGBT”活動家によって口々に言われた年だった。

 これからの社会の変遷を記録、提唱したいと思い、ジェンダーセクシャリティについて考えてみた。

 

  • 性を構成する要素

 性を構成する要素は様々である。性的指向性的嗜好の混同と誤用がよく見られるが、ここでは大まかな基本について触れる。

 

 身体的(生物学的)性別:雄か雌か。染色体や性器によって判断。IS(インターセクシュアリティ半陰陽) も存在する。

 社会的性別:ある性別であると分類され、その性別の社会的役割を期待されるもの。

 性自認:自分が自分の性別を何だと思っているか。

 性他人:他人が自分の性別を何だと思っているか。

 性役割(ジェンダーロール):性別を理由に持たされる役割。また、その役割への期待。

 性的指向:どの性別の相手と恋愛や性行為をしたいか、あるいは、したくないか。

 性的嗜好:何に対して性的な興奮を覚えるか。

 

  • 性のタブー

 現在の日本におけるセクシャル・マイノリティへの偏見や差別の源の一つとなる思想は、「変態性」だと言える。日本において同性愛行為が「変態」として見られるようになった原因は明治時代にある。

 それまで日本には、同性愛者や異性装者を特定の性癖の持ち主や風俗の乱れた者として否定的に見る人はいたが、精神の病とみなして治療の対象とする発想はなかった。

 明治末期に、キリスト教文化を基盤に持つ西洋(特にドイツ、イギリス)の精神医学が日本に導入した。ドイツでは司法精神科医クラフト=エービングが『性的精神病質』(1886)という本を執筆し、この本では、同性愛・異性装は禁忌であり、性的逸脱の精神病であるとし、精神病患者と犯罪との関係に触れた上で同性愛者を犯罪者予備軍扱いしている。

 この本が日本でも『変態性欲心理』(1912)として翻訳刊行され、これをより噛み砕いたものが大正~昭和初期に羽田鋭次と澤田順次郎という当時の有名な知識人によって『変態性欲論』(1915) という名で出版され、ベストセラーになった。

 こうして日本では『変態性欲論』に書かれているとおり、同性愛は社会に悪影響を与える病理であり、自慰を行う者や非処女は変態の色情狂であるという論説がポピュラーになった。

 この思想に基づいて、当時の西欧諸国で行われていたように日本でも同性愛行為や異性装をしたものへの処罰が行われるようになった。

 

 西欧諸国で行われた”同性愛者の治療”は以下の通りである。

 ロボトミー(脳外科)手術[米20c]、電気ショック[諸国20c]、放射線[米20c]、プラチナ・水銀の服用[独21c]、去勢[諸国19~20c]、強制的に異性と性行為[諸国19c~]、ホルモン剤投与[英19c]

 効果はほとんどなく、当然多くの死者が出た。ここでの効果・成功例とは、「同性と性行為しない・できない」ことである。そのため、去勢や脳へダメージを与えて性機能そのものを取り上げる非人道的な”治療”は「効果あり」とされた。

 また、患者とされ上記の治療を行われた人々の中には、効果があったフリをしなければ”治療”が続行する恐怖から「異性愛者に治った」ように振る舞った人たちが多かったことも踏まえて、「同性愛を治療する」ことは非医学的かつ非人道的な行為だと知らしめていきたい。

 

 現在の日本でも、人間は異性に恋愛感情を抱くという決めつけはまだ根付いている。

 しかし自然界では同性愛や性転換を行う動物が鳥類や哺乳類を中心に1500種以上見られ、同性愛は生物学的に見ても普通な、自然界でもよくあることであると証明されている。また、WHO、日本厚生労働省日本精神神経学会も「同性愛は異常とは見做さない」と明言している

 

 「L=レズビアン」「G=ゲイ」「B=バイセクシュアル」「T=トランスジェンダー」の頭文字。上記以外のセクシャル・マイノリティの存在を意識してLGBTsやLGBTQと書かれることも多い。

 世界的には約14%、現在の日本には少なくとも人口の7.6%のLGBTsが生活しているとされる。

 性は多様であり境目なくグラデーションのように存在することから、LGBTsの誇りと多様性のシンボルとしてレインボーカラーが使用される。

 

  • LGBTsに対する「妖怪化」

 妖怪の正体は、よく分からない未知のものへの恐れである。

 電灯がないため暗い道で感じる気配、科学が追い付いていなかったから理由の分からない音、見たことない人種…そういったものに「べとべとさん」や「小豆洗い」「天狗」といったような名前を付けて、よく分からないものへの感情を共有していた。

 現在の「同性愛者」や「トランスジェンダー」への認識は、そういった意味で妖怪化しているのではないかと思う。

 ゲイ男性全てを「オネエ」としてひとまとめにしているテレビ番組が目立つように感じる。男らしいゲイ男性の存在に触れず、同性愛者男なのに男が好きということは心が女なのだ、という異性愛規範・異性愛主義が透けて見える。

 また、「そっち系 あっち系」という異性愛者との差別化を図る言い方をする人も多い。

 そして、同性愛者への差別用語である「ホモ」「レズ」という単語をBLや百合などの同性愛をテーマにしたコンテンツの総称として使用する人や、日常会話で「ホモ」「レズ」呼びを頑なに続ける人たちもおり、同性愛者や同性愛行為を本あるいはTVの中だけのフィクション扱いしている人々の存在が特にネットにおいて顕著である。

 自分たちと切り離しキャラクターとしてイメージを共有することでLGBTsを「妖怪化」し、「LGBTsはこういう人たちで自分とは関係ない別の種類の人間だ」という意識の上に一種の安心を築いて生きることこそ、見えざる差別に他ならないのではないだろうか。

 

 誰かの性自認に対して「あなたはこうだから、そのセクシャリティではない」という否定や助言をしたり、「いい異性に会えたら同性愛・無性愛は気の迷いだったと気づく」という異性愛主義を押し付けたり、女らしさ男らしさやLGBTsらしさを求めたり、女or男の身体になりたいはずだと決めつけたり、LGBTsを全員一括りにして「ゲイはファッションセンスがある」と言ったり...

 そういった言動に出会うたびうんざりしている。他人の意志やアイデンティティを決める権利は、誰にもない。

 自分の身体や心のあり方、性自認セクシャリティを決めるのは本人である。性とは個人ごとに多様であり、流動的な場合もある。という意識が広まっていくことを願う。

 

  • 差別語と「言い換え」

 「放送禁止用語」と言われるものは製作担当者が自主的に規制しているに過ぎず、ある特定の言葉や楽曲を放送してはならないという規定は現在の日本のどこにもないが、民間放送連盟の『放送ハンドブック』は差別的な表現の「言い換え」を奨励し、共同通信の『放送ニュースの手引き2004』では「差別をなくすための努力は報道陣の責務」としている。

 しかし、柳田国男は「要スルニ彼等ガ部落ヲ特殊ナリトスル一般ノ思想存ズル限ハ、百ノ用語ヲ代フルモ無益」と言い、差別があるところではどのような言い換えをしても無意味であると指摘している。

 現に、「ホモ」「レズ」「両刀」等の差別語の言い換えとして「ゲイ」「レズビアン」「バイ」という正しく相応しい表現があるにもかかわらず、先述した「オネエ」「ヅカっぽい」「そっち側」といった、また別の差別的な表現が使われていることをよく見る。

 少数の被差別者にとっては言い換えられた単語さえ差別的でも、多数が受け入れていればそのまま放送されてしまっているのが現状だ。

 

  • これから

 ジェンダーセクシャリティや性の多様性について、現在の社会が抱える問題の根本はいったい何だろうか。

 歴史的なこと、宗教的なこと、科学的なこと、生物学的なこと、法的なこと...様々な要因が複雑に絡み合っている問題であり、それでも解決していくべき、向き合っていくべき問題である。

 

 

 

 

 
 
参考文献

 

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