『レヴェナント 蘇えりし者』の感想

『レヴェナント 蘇えりし者』(Revenant)


(ネタバレ有)



主人公グラスは毛皮を諦めたから毛皮(グリズリー)に出会う。小熊を狙ったから自身の息子が殺される。船を捨てたから己も見捨てられる。エゾジカを見逃したから馬に助けられる…等、奪い奪われ救い救われることの繰り返し。

そして繰り返される台詞「息がある限り、息をし続けろ」「嵐が来たら木の前に立て、揺れて倒れるかと思うが幹は揺れず立っている」「裁きは神に任せる」。

ただ奪うだけだが、救い合うことは出来る、そうして生にしがみつくのが人間だ。という壮絶なメッセージ。

この映画の「与える側」は動物や自然で、人間は奪い合うだけ。

「火」は文明の象徴で、良くも悪くも必ず人と出会い、会えば奪い合う。でもそれが誰かの救いになったりもする。復讐も結局は奪うことの延長で、裁きは神任せ。人間は何も出来ない、ただ生きるだけ。

死んでいった人間たちも、神も、自然も、動物も、与えてはくれるが救ってはくれない。人間が奪い合う先にしか救いはない。

だからこそ、「人生の嵐でも息をし続けろ」というセリフが繰り返される。

この映画の死体(もう蘇えらない者)が頭部破壊なのも、もう呼吸ができないという意味なんだろう。

エンドロールがしばらく呼吸音なのも素晴らしかった。

映画は終わるけど、主人公の人生はまだ終わってないんだよね。嵐で折れそうでも息をし続けないといけない。ここまで生きることの美醜や答えを探してる映画は中々ない。私はエンドロールで泣いてしまった。


奪い奪われ救い救われることの繰り返し。善も正義もなく、ただひたすら「自分に残された最後のモノ」のために動いているのが良い。作中で何度も″夢″が主人公を救い鼓舞するが、それがラストに掛かっている。息をし続けろ、映画館を出たら深呼吸したい映画。



※私のツイート(https://twitter.com/i/events/971320879668977665)をまとめてブログに載せ直したものです。