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日本中世史における刀狩り

 刀狩令兵農分離政策の始まりではないとする。これは、中世ですでに兵農分離は実現していたという考えをもとにしているためである。

 刀狩令は、百姓でも帯刀することは当然とする中世の意識を改革すること、帯刀を免許制にして制限することが目的であったとしている。つまり、中世の百姓にとって帯刀という武装が日常であったということである。

 刀狩りは「兵農分離によって百姓を武装解除させた」という説があるが、本書では、秀吉の刀狩令は百姓身分観の提示と関連して行われたが、村には農耕業・商工業に専念していた人々がそもそも多くいたため、秀吉の論理が需要される社会的基盤は既に存在したとしなければならないとしている。

 また、信長や秀吉が他の対抗勢力を超越し時代の先を読んでいたために民衆から支持されたとイメージされやすいが、現実には二人とも「支配される側の生存保障としての自力救済」である百姓一揆を恐れていたとしている。

 そして、この手強い一揆の再蜂起を恐れていたために刀狩令を出した可能性も述べている。秀吉が百姓一揆を重要視しているために、刀狩令では大名に対する命令として百姓の帯刀による危険性を説き、秀吉に処罰権を渡すメリットを明確にした上で、大名を秀吉の味方にしている。

 以上のことから、刀狩令兵農分離政策ではなかったと言える。そしてこれは、刀狩令兵農分離政策の始まりであり、専制権力による強制的な武装解除とする考えを覆していると言える。

 

参考文献 

池上裕子『織豊政権江戸幕府講談社日本の歴史15「2 刀狩令と海賊停止令」 (2002)