音楽と映像:『華麗なるギャツビー(2013)』におけるメイン挿入歌『Young and Beautiful』について

 はじめに

  私の好きな小説に、F・スコット・フィッツジェラルド(F Scot FitzGerald)原作の『華麗なるギャツビー (原題: THE GREAT GATSBY)』(「グレート・ギャツビー」「偉大なギャツビー」等さまざまに翻訳されてきた)がある。

 この作品はこれまで何度も映像化されているが、今回は2013年にバズ・ラーマン(Baz Luhrmann)監督によって映画化された『華麗なるギャツビー (原題: THE GREAT GATSBY)』のメイン挿入歌、ラナ・デル・レイ(Lana Del Rey)の『Young and Beautiful』について書こうと思う。

 この作品のエグゼクティブプロデューサーはJay Zが務めており、挿入歌として数々の名立たるアーティストの楽曲が使用されていることが話題を集めた。

 この映画のメイン挿入歌として監督本人がラナ・デル・レイと制作した『Young and Beautiful』はこの映画で最も多く使用されている。

 この曲の歌詞、サウンド、使用シーンを考えたとき、『Young and Beautiful』は、バズ・ラーマン監督の『華麗なるギャツビー』への解釈が盛り込まれた曲であると思った。

 以下、そう考えた理由を述べていこうと思う。 

 

1.時代背景

 『華麗なるギャツビー』の舞台は1920年代である。この時代は「アメリカ黄金時代」「狂乱の時代」と言われ、未曽有の好景気であった。

世界的に女性の社会進出が本格的になりだした時期であり、解放された女性たちは長かった髪を切り、コルセットを脱ぎ捨て、ミニスカートを着て、こぞって装飾品を身につけた。アール・デコ様式の近代的直線を用いた体のラインを強調しすぎないゆったりしたデザインの、堅苦しさから脱却した華美で自由なファッションが流行していた。

 そして同時に「アメリカ暗黒時代」とされている禁酒法が制定されていた時代でもあり、密造酒・蜜輸入酒の莫大な利益によりマフィアが強い力を持つようになった時代でもある。制定以前に所有していた酒の飲酒は認められていたため、人々はそうと称して飲酒を行い、毎晩の如く富裕層による乱痴気騒ぎが行われていたのである。

 この華やかさと裏社会の闇が入り乱れる時代は、1929年のウォール街崩落であっさり消え失せてしまう。わずか10年の「黄金時代」は、資本主義社会アメリカの「戻りたい過去」の最たるものである。

 

 バズ・ラーマン監督は、挿入歌に現代の音楽を使用する。それは観客が最も近い時代の音楽という媒体を通すことで作品に共感しやすくするための、監督の特徴的な手法である。

 オルタナティブ・ロック・バラードである『Young and Beautiful』は、この時代背景にピッタリのサウンドだと思われる。

 オルタナティブ・ロックとは、商業的な音楽と一線を画した「alternative = 型にはまらない」音楽であり、1980年代のメジャーシーンの音楽への反発から、同時期にアメリカを中心として各地で発生した音楽ジャンルのことである。サウンド性や歌詞のテーマ性も全体に共通する傾向はなく、「オルタナティブ・ロック」は象徴性・抽象性が強い音楽ジャンルだと言えるだろう。

 バラードは、ゆったりしたテンポにラブソングを中心とした感傷的な歌詞の乗った楽曲を指す。クライマックスに向けてのサビの盛り上がり、静かなエンディングもバラードの特徴である。

 オルタナティブ・ロック・バラードである『Young and Beautiful』は、混沌と象徴の20年代と、一人の男が生涯をかけて努力した末の大悲恋物語である『華麗なるギャツビー』のストーリーに共感するのにまさに最適なサウンドなのである。

 

2.デイジーの心情

  ヒロインである社交界の華デイジーと若きギャツビーは恋に落ちたが、ギャツビーの出兵と身分の差により、デイジーはギャツビーの帰りを待つことなく結婚してしまう。5年の月日を経てギャツビーは富を手にし、デイジーのいとこである主人公(語り手)ニックがギャツビー邸の隣に越してきたのをキッカケにしてデイジーと再会する。デイジーには夫と子がいるにもかかわらず、二人の恋は再び燃え上がるのだ。

 デイジーの夫トム・ブキャナンは浮気性で愛人がおり、デイジーは日々その事実に不満を抱きながら生活している。そして何より、デイジーは結婚する前の、かつて社交界の華であった時の誰からも愛された輝かしい自分を忘れられずにいるのだ。悶々と暮らしていたとき、自らの輝かしい時代の恋人が現れ、今の輝きを失った自分をまだ好きだと言う。再び恋に落ちたデイジーの心情に、『Young and Beautiful』の歌詞はピッタリなのだ。

 

 I've seen the world Done it all Had my cake now Diamonds, brilliant In Bel-Air now Hot summer nights, mid july When you and I were forever wild The crazy days, city lights The way you'd play with me like a child 

 *引用:Lana Del Rey『Young and Beautiful』(2013)

 「色々な世界を見たけれど、いまはもう全部終わってしまった。ケーキ(デザート、甘い時間)も食べ終えてしまって、いまはベル・エア(高級住宅地)でダイアモンド(結婚指輪)と共に暮らしている。暑い夏の日、私とあなたはいつまでも若々しかった。狂乱の日々、町の光の中を子供の様に遊んだ。」というのは、デイジーのつまらない現在と、しがみついていたい過去の対比を表しているのだ。二番の導入もこういった歌詞で、かつて恋に落ちたときのことに触れている。重要なのはサビである。

 Will you still love me When I'm no longer young and beautiful?

 Will you still love me When I've got nothing but my aching soul?

 I know you will

*引用:Lana Del Rey『Young and Beautiful』(2013)

 「私が若くなくなっても、美しくなくなっても、愛してくれる?かつての若い心を失っても愛してくれる?あなたならそうしてくれるって私よく知ってるわ。」というのは、5年の月日を経てもデイジーを愛していたギャツビーへの愛の返答だろう。

 転調後の、

 Dear lord, when I get to heaven Please let me bring my man All that grace, all that body All that face, makes me wanna party He's my sun, he makes me shine like diamonds

 *引用:Lana Del Rey『Young and Beautiful』(2013)

 「神様、私が死ぬときは彼を連れてきてください。彼の全てが、私をパーティーにいるときのような気分にするの。私を輝かせてくれる、私の太陽。」からも、デイジーがかつてを思い出させてくれるギャツビーにいかに執心しているかが読み取れる。

 

 この曲は、デイジーが再開後初めてギャツビー邸を訪れたとき、ギャツビーが「君のために毎晩パーティーしよう」と言うシーンに流れている。

 そして、映画『華麗なるギャツビー』における象徴的シーンの一つ、ギャツビーが衣装室でシャツのコレクションを次々に空中に投げてデイジーと戯れるシーン、その最中にデイジーが始まってしまったこの不倫のあまりの幸せと先の見えない不安に涙するも「シャツの色があんまり綺麗だから…」と涙の理由を誤魔化すときにも、『Young and Beautiful』が流れている。

 『Young and Beautiful』は、デイジーのギャツビーへの気持ちについて解釈を助ける曲として機能しているといえる。

 

3.ギャツビーの心情

  また、『Young and Beautiful』はギャツビーの心情も代弁しているともいえる。この曲の旋律だけがバックミュージックとして流れる場面が何度もあるのだが、それは全てギャツビーが幸せを感じている瞬間なのだ。

 デイジーが自らの豪邸に足を踏み入れたとき、デイジーが毎晩開催するパーティーに興味を持っていると知ったとき、デイジーが豪邸内でのデートを楽しんでいるとき、デイジーが好意を呟くとき、『Young and Beautiful』は繰り返し使用される。

 ギャツビーは、貧しい生まれから努力して上流階級の仲間入りを果たす。成功するには、恋なんてするべきではないとわかっていた。しかし、夏のパーティーの夜、デイジーと恋に落ちた。当時のギャツビーには地位も名誉も富もなかったため、結ばれることはできなかった。だがギャツビーはデイジーを思い続け、富を手にし、デイジーにふさわしい男となって5年の月日を経て再会する。

 ギャツビーの豪邸もパーティーも富も、全てがデイジーのためなのだ。

 ギャツビーは過去をやり直せると信じており、デイジーもまた自分と同じ気持ちだと信じている。『Young and Beautiful』は、ギャツビーの幸せの象徴である5年前であり、ギャツビーから見たデイジー像であるとも言える。

 

3.ニックの回想

 この映画は、ニックが後にギャツビーという親友について『華麗なるギャツビー』という本を書いた、という設定で進んでいく。故に、ナレーションはニックの回想である。

 注意深く挿入歌を聴くと、法則があることに気付いた。回想当時、実際に流れていた曲は、当時の曲または現代の曲のjazzアレンジや、当時の曲調にインスパイアされた曲なのだ。

 当時の曲調に寄せられることなく流れている曲は、ニックのそのときの気持ちを表しているようである。

 例としては、ラジオから流れる音楽は当時の曲、パーティーで流れる音楽は当時のビッグ・バンド・ジャズ・サウンドにインスパイアされた曲、ギャツビー邸でデイジーが踊っているときに流れる音楽は現代の曲のjazzアレンジ、これらは実際に流れていたととるべきである。しかし、ニックが初めてギャツビー対面するシーンにはパーティーで流れていた曲を遮って盛大な『ラプソディ・イン・ブルー』、ニックが泥酔して画面が回るシーンにはJay Zとカニエ・ウェストのヒップホップ『Who Gon Stop Me』、どちらも当時の音楽とは切り離された曲調であり、これらはニックの心情を表していると考えられる。

 『Young and Beautiful』はオルタナティブ・ロック・バラードであり、現代の曲調である。この曲の流れるシーンにはニックも同席しているので、『Young and Beautiful』はニックから見たギャツビーとデイジー二人の関係も表しているのではないか。

 

4.フィッツジェラルドの生涯

  原作者フィッツジェラルドにちなんだ『華麗なるギャツビー』の解釈も、『Young and Beautiful』に込められていると考える。

 フィッツジェラルド自身もまた、狂乱の20年代を生きた男である。20年代は「ジャズ・エイジ」とも呼ばれており、これはフィッツジェラルドの著書『ジャズ・エイジの物語』(1922)に由来している。「ジャズ」という単語についてフィツジェラルドは、「最初はセックスを意味し、次いでダンス、その後音楽を意味するようになった」としていて、音楽のジャズとは直接関係はなかった。

 『Young and Beautiful』には「Hot summer days, rock n roll」という歌詞が登場する。ロックンロールは1950年代半ばに現れたアメリカの音楽ジャンルである。これも語源は「セックス」であり、50年代はじめに「ダンス」、次いで「音楽」を意味するようになった単語だ。

 バズ・ラーマン監督は、観客の音楽による作品への共感を狙ってあえて現代の音楽を挿入歌に使用する手法を得意とする監督である。

 20年代に流行し、当時を代表する音楽となったジャズは黒人音楽のリズム&ブルースをルーツとしている。同じくリズム&ブルースをルーツとする現代の音楽は、ロックなのだ。当時の音楽観に私たちが共感できる仕組みが、『Young and Beautiful』に施されているのである。

 また、歌詞に登場するベル・エアはロサンゼルスの高級住宅地であり、フィッツジェラルドなじみの土地である。フィッツジェラルド小説家として成功した後、晩年の1937~40年を売れない脚本家としてハリウッドで過ごしている。

 『Young and Beautiful』は、妻とも上手くいかなくなり、物書きとして成功した愛人に養われながらロサンゼルスの高級住宅地で暮らしたフィッツジェラルドの、輝かしい『華麗なるギャツビー』時代への懐古の歌でもあるのだ。

 

おわりに

  以上のことから、『Young and Beautiful』は、バズ・ラーマン監督の『華麗なるギャツビー』への解釈が盛り込まれた曲であると考えられ、観客がこの『華麗なるギャツビー』の世界観を楽しむうえで大きな役割を果たしていたことが分かった。

 映画における挿入歌の重要性を感じたので、これからはもっと映画の挿入歌も気にしながら観てみようと思う。

 

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参考文献

フィッツジェラルド 訳/野崎孝グレート・ギャツビー』(1989)新潮社

ロジェ・グルニエ『フィッツジェラルドの午前三時』(1999)白水社

 

映画

監督バズ・ラーマン華麗なるギャツビー』(2013)ワーナー・ブラザーズ

 

音楽

プロデュース:Jay Z、バズ・ラーマン、アントン・モンステッド『ミュージック・フロム・バズ・ラーマンズ・華麗なるギャツビー』(2013)インタースコープ・レコード

作詞作曲:ラナ・デル・レイバズ・ラーマン、リック・ノウェルズ『Young and Beautiful』(2013)インタースコープ・レコード