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種貸社からみる日本の不妊観〈考察〉

趣味・雑記

 子供のできない夫婦が子を授かるためにお参りするのがこの「種貸社」である。

 そうして神様にどうしてもと頼んで産まれた子を「申し子」という。

 私はこの「種貸」というワードが気になった。夫婦間で子が出来ないため神様に頼んで「種を貸してもらう」なら、産まれた子は正確には一体誰の子なのか。

   神様の「種」は妻の体に直接宿り旦那との性交は関係がないのか、神様の「種」が旦那を介して妻に届くのかで、かなり「貸す」の意味が変わってくるだろう。

 また、種貸社の「百度石」はよく見られる長方体や長球の楕円体があり、神社の性質からしてもこれは男性器を模していると思われる。

 祈願のために百日間その神社に欠かさず参拝するという「百日詣」が後に簡略化され、「百度参り」となったときの往復の目印が「百度石」である。100日は約三か月で、ちょうど妊娠が傍目にも発覚する期間と重なる。

 つまり種貸社での百度参りは、妊娠発覚まで(約100日間)神様と性交することの模擬的な行為ではないか。

 であるなら、「種」は直接妻に「貸され」、産まれた子に旦那は関与していないことになる。

 子を望んで授かるまでの祈願のプロセスはあくまで女と神の問題であって男は関与していないという思想があったとすれば、日本において長年言われきた不妊は女に原因があるとされる考え方と何かしら結びついているのではないだろうか。

 (当然ながら不妊の原因は様々であり、男性不妊、女性不妊と、どちらにも同等に起こり得ることである。妊娠に問題の見当たらない男女にも約2割の不妊カップルが存在する。決して誰の責任、などという話ではないのだ。)*1

 ここで、子を産めない女を指す差別用語「石女(うまずめ、不産女)」になぜ「石」という字が使われている語源と百度石との関係を調べたが、愚管抄に綴られている斎己の漢詩の一文からきていることしか分からなかった。

 古くから、不妊の際に行われる藁にも縋る行い、神頼みから、現代日本においても尚はびこる不妊にまつわる偏見や女性差別の根源を探れるのではないかと思い試みた考察である。