映画と人生が交差するとき

 

 

 大晦日なので、今年のことについてダラダラと書いているだけです。

 

 映画を観ていて、私にとってめちゃくちゃタイムリーな話だ、と思ったことが何度かある。私はそこそこ映画を観る方だと思うけれど、こういう感覚になったことは多くない。映画の面白さや美しさや評価や好き嫌いとは違う、そういうものとはまた別に、「ああ、これは私が今観るための映画だったんだ」と思う。まあ勝手に私が思っているだけだが、そう思ってしまうような映画と出会うと、一瞬だけ、映画の世界と自分の人生が重なる。

 こういう映画はずっと心の隅にいて、映画の世界を離れて自分の人生を生きているときのお守りみたいな映画になる。詳しく書くと私以外の人間のことも記すことになってしまうので理由は省くが、私にとってはジェニファー・ロペス主演の『イナフ (Enough)』 (2002)もそういう映画だ。

 今年もたくさん映画を観た。Covid-19のせいで公開予定だった映画が色々と延期になり新作映画の総数は減ったが、なんとか映画館を支えようと観れるものは体調や予定を考えつつ積極的に劇場で観たし、自宅で過ごす時間が増えたからずっとサブスクで配信される映画を観ていた。結果的に例年と変わらないほど新作映画も観たのではないかと思う。

 この辺で先に一度きちんと書いておくが、この記事は2020年に公開されたダリウス・マーダー監督/リズ・アーメッド主演の『サウンド・オブ・メタル (Sound of Metal)』のネタバレを含む。

 

 今年はわりと大変だった。

 今年度に修士論文を提出するはずが、学期初めにCovid-19禍に突入。研究は早々にままならなくなり、なんとか現段階で出来ることをしようと、紀要に載せる論文を書こうと足掻き始めたがこれがまた難しかった。仕事も色々と影響を受け、私は夏の間しばらく大阪で働き、望まぬ親族付き合いと男社会に疲弊しきった。秋に東京に帰り、さて再び学業に専念するぞと思った矢先に親族が立て続けに大病に倒れた。ちなみに逝去した親族もいるので私は喪中だ。Covid-19禍なので面会もできなかったし葬式は親族間でめちゃくちゃに揉めて、全てが最悪だった。

 筋トレにハマったり友人と話したりオンライン飲み会したり映画観たり愛犬を世話したり弟と庭仕事したり、その時その時には楽しくて幸せなこともあってなんとか乗り切ってはいたけど、総合的に見て根本的な私生活は破綻していた。何もできず、やっていたことは全部停止した。

 そんなこんなで、今年は運が悪すぎると友人には冗談めかして言っていたのだけど、そろそろ今年も終わるしこれ以上はないだろうと思っていた。しかし年末に追い討ちがあった。今月、12月の頭に、私は自分の身体の異変に気付いた。視野がおかしい。

 視界にハッキリと黒い点が現れるようになったのだ。大学生の頃から眼精疲労に伴って飛蚊症が出ることはよくあったが、今回は違った。ハッキリとした2㎝程の大きさの黒い点が視界をビュンビュンと行き来するようになって、私は怖くなった。友人との作業Skype中も、飛蚊症が出てて怖い〜と話していた。

 私は強度近視で、かなり目が悪い。眼鏡やコンタクトレンズなどの視力補正器具がなければ生活できない。小学校低学年で急激に視力が落ち始めたときに医者から「遺伝性の強度近視の可能性がある」と言われていた。さらに私には網膜剥離を起こした親族がおり、網膜剥離にも遺伝性があることや、こうした飛蚊症網膜剥離の初期症状であることを知っていたので、網膜剥離かも、と思った。

 何事も早期発見が大事だと、すぐ眼科にかかった。結果として、網膜剥離ではなかった。飛蚊症も眼精疲労によるもので、そこまで問題があるわけではなかった。しかし、別の眼病が見つかった。


 「視神経が弱い」と診てくれた眼科医の先生が言って、よく診ておく方が良いからと勧められた私はそのまま眼底の写真を撮った。かなり時間をかけて調べてくれたので、検査だとこんなに目の中を診るんだなぁとか考えていた。今思うと先生は病の兆候を見逃すまいと念入りに診てくれていたのだと思う。

 スクリーンに私の眼底の写真と眼圧検査の数値を表示して、先生は「ご家族に眼病の経歴はありますか」と私に尋ねたので、私は「あります」と応えて、人数と病名を伝えた。検査のため散瞳薬を点眼されていて、そのとき視界はかなりボヤけていたのだけど、よくない結果なんだと雰囲気で分かった。

 告げられたのは、緑内障の疑いだった。

 正直言って、ピンとこなかった。緑内障という病名を聞いたことはあるけど詳しいところまでは知らない。ご年配の方がなりやすいというイメージもあった。だって私はまだ25歳だ。えっ、20代でもなる病気なの?

緑内障の基礎知識

緑内障は、目と脳をつなぐ視神経が障害され、徐々に視野障害が広がってくる病気です。40歳以上の約20人に1人は緑内障と考えられていますので、けっして珍しい病気ではありません。

眼圧を下げることにより、緑内障が進行しにくくなりますので、できるだけ早期に緑内障を発見し、点眼薬などにより眼圧を下げ続けることが大切です。緑内障の患者さんの多くでは、眼圧は正常であり、視野障害の自覚もありません。

緑内障の早期発見のためにも、40歳を過ぎたら定期的な目の検診をお勧めします。

(中略)

緑内障で減った視神経が戻ることはありません。視神経をそれ以上減らさないように努めることが、緑内障治療の原則となります。具体的には、眼圧を下げることにより視神経が減りにくくなる(視野が保たれやすくなる)ということがわかっていますので、点眼薬などにより眼圧を下げるようにします。

1.はじめに | よくわかる緑内障―診断と治療― | 目についての健康情報 | 公益社団法人 日本眼科医会

 先生はそこから時間をかけて、他の患者さんの診察も挟みつつ、私にかなり詳しく全てを説明してくれた。眼科に行ったのが16時、待ち時間は30分ほどで、散瞳薬を点眼して20分待機して、検査も30分ほど、その時点で17時半くらい。そこから説明を聞き終えて眼科を出たのが19時過ぎだったと言えば、先生がいかに親身になって詳細な説明してくれたのか伝わるだろう。この先生には本当に感謝している。

 眼科医会のHPを引用した通り、緑内障は珍しい病気ではない。日本における失明原因の1位とされてもいるが、進行速度は十年単位で1030年とされているので、進行速度によるが、ほとんどの人は治療を続ければ失明に至らず人生を終えることが可能とされている。完治させる治療はなく、点眼薬も手術も「進行を遅らせるもの」である。

 40代以降の20人に1人は緑内障を発症し、自覚症状が出る頃には5060代、そこから眼科にかかり治療を続ければ(平均寿命である80代まで)視野は保てる。というのが平均的な見解だ。

 ただ一つ違うのは、私が20代であることだ。(寿命なんて知るよしもないのでそれは考えないようにするが)この計算でいくと、私が中年になる頃には、私には視野はほとんど残されていない可能性がかなり高い。

 若年の緑内障患者は少ない。20代で診断された人の情報を探して漁り読んだが、診断から10年後には視野狭窄や視野欠損はかなり進行している場合が多かった。もちろん私の進行速度は分からないので、20代で診断されたからといって必ずしも近い将来に視力を失うというわけではないのだけど。同じく20代で診断された私もそうなる可能性がやはりかなり高いと考えておく方が良いだろう。


 そこから今日に至るまで精密検査などで眼科医に通う日々。私は現在、眼底検査や眼圧検査や視野検査や、なんか眼底をスキャンして3Dの輪切りを診るやつとか、とにかく緑内障関連の検査をして、二人の眼科医から「すでに視神経乳頭陥凹は広がり、眼圧は高く、視界も欠け始めているので、定期的に検査が必要な状況」であると言われている。

 今は様子見、ひとまずの猶予期間だ。早期発見で良かった。検査を繰り返して、結果が少しでも悪くなれば速攻で治療開始の予定。せっかく早期発見したのだから今すぐに治療を始めたら良いのでは、と私も思ったけど、点眼薬にせよ何にせよ副作用があるんですよね。一度始めたら長い治療が待っていることは明らかなので、こうすることに決まった。なので今の私に出来ることは、眼精疲労を減らすこと、重いものを持ったり力んだりして眼圧を上昇させないこと、ストレスを避けること。つまり、出来ることほとんど無い。

 (しかも強度近視の眼球変形のため網膜もわりと薄くなってるので網膜剥離の可能性も人よりずっと高いらしい。検診以外でも何かあったらすぐ来てください、と先生から念押しされている)

 抗うことのできぬ何かに一気に押し流されている感じがした。あ〜、目、見えなくなっちゃうかも。


 子どもの頃からド近眼で夜目が効かないから、見えないなりになんとかするのはそこそこ慣れている。でも、それは眼鏡やコンタクトレンズである程度どうにかなるからで、視野そのものが狭窄したり欠損することとはきっと全然異なる。現に私は視界にハッキリ黒い点が現れたことにめちゃくちゃ気を取られたし、視野検査で欠損が始まっている部分を知ってからその部分にばかり意識が持って行かれるようになった。今後もっと不便がふえる。

 長風呂が好きだ。睡眠が好きだ。院生だし、論文など書き物をすることが好きで、いずれ仕事にしたい。今の仕事は自宅でPCさえあればある程度出来るので自分に合っている。あと、読書と映画が趣味でそれが大好きだ。好きな人たちもいるし、愛犬たちのことも、見ていたい。これらのお陰で今年を乗り切れた。

 でも、目のことを考えると、お風呂は熱すぎると眼圧が上がる、横向きに眠ると眼圧が上がる、眼精疲労を溜めることはしない方がいい。好きなことを止めるとまでは言わなくても、減らさざるを得ない。どうしよう。

 自分が視覚に頼りきって生きていることを自覚して、どうにかしなきゃと思った。なので、診断の後、点字を学び始めた。

  点字、かなり難しい。覚えるだけで精一杯で、指先でなぞって読むことはまだ全然出来ない。点字を「書く」には、点字の文字を反転させて紙の裏(読む面の裏)から打たなくてはならず、果たしてそんな複雑なことが出来るようになるのか今から頭がクラクラする。でも点字を読み書き出来ると可能性が広がる。

興味ある方のために、点字の読み書きについてネットで読める入門マンガを貼っておきます。

日本点字図書館『点字にチャレンジ!』

https://www.nittento.or.jp/images/pdf/information/braille_comic.pdf

 将来いつか来る視力の限界に向き合っているように見えるかもしれない。わりと平然と受け入れてはいるが、同時にめちゃくちゃ恐れている。感情が分かりやすく矛盾している。


 診断された帰り道、実家に連絡して診断を伝えて、親が動揺して涙声になるのを聴いた私は「今すぐ私がどうにかなるわけじゃないし大丈夫や」と言って電話を切って、あんまりショックじゃないなと思って、とりあえずパフェが食べたくてファミレスに入って栗のパフェを食べて、弟から心配の電話がかかってきて、弟が点眼薬のこととかを色々調べてくれたのを知って泣きそうになって、帰宅後になってやっぱりショックで泣いた。


 そのあと、友人に伝えるかちょっと悩んだ。結局伝えたけど、実はそうする前に、見ず知らずの人間に好き放題に今の気持ちを話した。便利なもので、全く知らない人と通話できるappがあったので。

 アカウント名だけ登録したらあとはapp内でランダムに誰かと通話できるやつ。変な人と通話が繋がってしまった場合は切れば良いし、通報も可能だし、話せそうなら好きに話せばいい。これだ〜!てなわけで、インストールして適当な名前でアカウント作って通話した。見ず知らずの人なら身バレしないし、アプリで偶然通話した赤の他人同士ならこういう話を打ち明けられる方もそこまで深刻に捉えなくて済むだろうと考えてのことだった。私が適当な作り話をしているかもしれないのだし、知らない人だし、私も適当な相槌や気軽なアドバイスとかを求めてた。しんみりしたくなくて。

 通話した人は、本人によると同じ20代の男性だった。在宅勤務になり暇だからラジオ代わりに始めたと言っていたので、私の最近の悩みと相談を聞いてほしいと伝えると「いいですよー」と返ってきた。許可を得たからほぼ一方的にワーッと喋った。

 最後に「あなたが私の親友だった場合、このことを教えてほしいですか? 教えて欲しいなら、いつがいいですか?」と尋ねた。ちょっと間が空いて、「大好きな相手であればあるだけ早く知りたい。もし支えてほしいなら自分も支えたいし、触れないでほしいならそうする。でも一番は()さんが伝えたいかどうかだと思う。今年はもう残りも少ないし、どのみちいつか隠せない日が来るなら今年はこのまま今まで通りで過ごすのもありだと思う」という、とても真剣な答えが返ってきた。いい人と通話できたなぁと思いお礼を言って、さよならの挨拶をして通話を切った。1人目の通話で気持ちを吐き出すことも相談も成し遂げたので、ありがとうのメッセージをもう一度相手に送ってからすぐアカウントを消してappもアンインストールした。

 その夜、いつも通り作業Skypeした友人に伝えた。最初は友人たちには気を遣わせてしまった。最近は私が「あー、眼圧が爆発しちゃう!(固いペットボトルの蓋を開けながら)」とか言っていると爆笑しながら代わりに蓋を開けてくれる。大好きだ友人たち

 そろそろ最初の診断から4週間経つ。受け入れられたと思うし、気にしてないときは全然気にしてない。なのに突然わっと怖くなったり泣きそうになったりする。

 これは何なのだろう、たぶん、何かが自分から失われるということに耐えられないのだろう。望まなくとも、私の視界はいつか無くなる。いつかは分からない。出来るだけ先であることを願う。その時に、奪われたと感じるより、手放したと納得したいなと思った。


 最近こんなことばかり考えて曖昧なツイートをしていたせいで、予期せぬ形でツイートが伸びてしまった。

 私は今、手放すこと/出来ないままでいることに向かって生きている。私がいつか視界を手放したとき、この緑内障をめぐる物語は一旦幕を閉じるが、それはバッドエンドなのだろうかと自問自答していた。

 人との別離についても書いたのも、緑内障と関係がある。治療が始まるとは、投薬が始まるということだ。妊娠出産を望むなら治療を1年半ほど止めなければならない。色々考えた結果……無理! 

 私は元より結婚する気も子を産むつもりもないが(そもそも現在の婚姻制度には賛同していないがここではその詳細は省く)、この件でその気持ちがさらに固まった。それらを望む人と添い遂げることは出来ないし、それを望む人を責めるつもりもないし、お互いのために別離を選ぶことだって今後あり得るだろう。そもそも私はこれまでも円満に恋愛関係を解消していて、それで普通にハッピーだった。元恋人と今も仲良くしてるし。

 そういうことを吐露した本当に個人的なツイートだったのだけど、なんか伸びちゃって色々反応が来た。このツイートに同意や共感をする人たちも勿論いた。しかし、「ハッピーエンドの定義を壊そうとしている」とか「そういうのはバッドエンドかメリーバッドエンドと呼ぶべき」とか「そういうのはビターエンドと言うんだ」とか、とりあえず凄く怒ってる人たちも沢山いた。

 (「現実とフィクションを混同するな」みたいな反応も結構あったけど、これは論外だ。現実社会を生きる人間が意図的に構成したフィクションが現実社会の反映を完全に避けることは不可能であり、またフィクションによる表象も現実社会に影響を与え、フィクションと現実は相互作用で影響を与え合うものなので)

 私のような人生は、映画や小説では前提からそもそもハッピーと名乗れないし、私つまり主人公が納得/満足していてもハッピーと名乗るべきではないらしい。マジか。やっぱりハッピーの規範はガチガチだな。

 とはいえ、私もこのハッピーの規範に少なからず絡め取られているわけで、だからこそ今から視界との別れをこんなに考えたり恐れたり受け入れたりを繰り返しているわけだ。


 視覚障害を扱った映画、視覚障碍者が表象されている映画にはどんなものがあるだろうか。

 『ダンサー・イン・ザ・ダーク』『ブラインドネス』『ジョニーは戦場へ行った』有名な「失明する」映画ってこんな感じ。あとは、『5%の奇跡』など視覚障害のハンデを猛烈な努力で克服し成功する物語や、『箱入り息子の恋』『エマの瞳』など晴眼者(健常な視覚の人)の男性が盲の女性と恋に落ちる話、『見えない目撃者』『ドント・ブリーズ』など視覚障害とスリラーが結びついたもの、『デアデビル』『あなたに触れたくて』『バード・ボックス』『パーフェクト・センス』など視覚障碍者が登場するが物語の前提が特異なもの。

 と、ここまで書いて私の想定する人生がどのように映画で描かれてきたのか、描かれているのかを改めて観てみて、こうなって改めて思った。そもそも数が少ない上に、エンパワメントされるものがほとんどないなって。表象(representation)大事だな〜って。

 物語の力に背中を押されたいときが私にはあるのだけど、自分に近い物語が必要なとき、自分みたいな人が生活している姿を知りたいとき、そういう表象がないって結構堪える。(今挙げたこれらの映画も全部好きなんだけどね)

 視力を失った神学者がその過程とその後を克明に記録し続けた音声記録を元に、当時を再現するドキュメンタリー映画『失明に関する所感』はめちゃくちゃ良かったです。

m.imdb.com

 (ついでに書くと私はパンセクシュアルなんですよ。セクシュアル・マイノリティの表象も似たようなもので。今年は同性同士の恋愛映画やトランスジェンダーが活躍する映画、セクシュアル・マイノリティがメインで登場する映画が豊作だった年だった。全てが良いものではなかったけど、総量が増えたことは大きい。それで浮かれていて、これからは表象も増えるんだ!と実感していた矢先に、視覚障害および障害全般の表象を求めて、躓いていた)


 ここまでツラツラと私の最近を書いてきて、だいぶ長くなったけど、ここから本題に戻る。

 今月、配信公開されたばかりの『サウンド・オブ・メタル』を観た。以下は、この映画のラストを含む感想を書いていくので、ネタバレを避けたい人はここらでブラウザバックしてください。

サウンド・オブ・メタル (Sound of Metal)

あらすじタルドラマーのルーベンは、聴力を失い始める。医師に今後も悪化すると言われ、ミュージシャンとしての自分も人生も終わりだと考える。恋人のルーは元ドラッグ依存症のルーベンをろう者のコミュニティーに参加させ、再びドラッグに走ることを防ぎ、新しい人生に適応できることを願う。ルーベンはろう者のコミュニティーで歓迎され、ありのままの自分を受け入れるが、新しい自分とこれまで歩んできた人生とのどちらかを選ぶのか葛藤する。

Amazon.co.jp: サウンド・オブ・メタル ~聞こえるということ~を観る | Prime Video

 この映画は聴覚障害について扱った映画だ。ろう者コミュニティのメンバーには聴覚障害を持つ役者たちが出演し、作中使用されるアメリカ手話も手話講師と当事者の監修がなされている。主演するリズ・アーメッドは健聴者であるが、健聴の状態から聴覚を失う感覚をイヤーピースなどで追体験し、実際にろう者のコミュニティに参加して7か月をかけてアメリカ手話を習得した。(ドラムも習得し、作中の演奏はリズ本人によるものだ)

 私は主演のリズ・アーメッドのファンなので、この映画のことは製作が開始したときから知っていて、タイトルが発表された1年前から公開を楽しみにしていた。そのときは、私がこういう状況になるとは思いもしていなかったけど。

 これは聴覚障害を持つ人たちを表象した映画だ。サウンドエフェクトも聴覚障碍者の感覚を追体験できるようになっており、こもった音しか聴こえないシーンや無音のシーンも長い。手話による会話シーンも多く、デフォルトで字幕が機能する。ろう者を物語だけでなく感覚まで表象した映画だ。

 そのため、おそらく、視覚障碍者が観たら作中で何が行われているか判断することは難しい(ライブ音声ガイド/副音声が聴ける映画も最近は増えているが、全ての映画が対応しているわけではない)。たぶん、将来的に私はこの映画を再生しても画面で何が行われているのか分からなくなるだろう。それでも、この映画は私をある部分で表象し、エンパワメントした。


 聴覚に違和感を感じた数日後、失聴した主人公のルーベンは耳鼻科で聴覚の検査を受ける。このシーンでは、言葉が聞こえたらそれを口に出す検査を受けるが、ルーベンは単語を聞き取れない。緑内障の視野検査はこれに似ていて、ドーム型の機械に頭を突っ込んで視界の中で光の点が見えたらボタンを押すんだけど、やってるうちに「あれ、この部分全然光らないな(光ってるんだろうけど見えてないな)」っていうのが分かってくる。これヤバいんじゃないか、って検査を通して自覚する時間。

 ルーベンに診断を告げる医師が「大きな音に晒されたからなのか、免疫不全によるものかはもはや関係ない、失った聴力は戻らない。今ある聴力を維持することに尽力するしかない」と告げるのだけど、ここが上手いなと思った。ルーベンの失聴の原因を明言しないことで、あらゆる原因でそうなった人たち全ての映画になった。

 身体が悪くなったとき、自己責任だと言わんばかりの「〇〇してたからだろ」的なこと言われた人は多いんじゃないかな。私の目も遺伝性なんだけど、ド近眼の子どもだったから姿勢が悪い性だとか色々言われた。たとえそれが原因だったとしても他人に叱責の権利はないし、そもそも事故や突発的な病や遺伝などの本人の行動と関係ない場合でそうなることも多いのにね。


 自身の状況を受け止めきれず、ろう者コミュニティに来ても手話がわからず置いてけぼりで、投げやりに過ごすルーベン。しかし、ろう者の子どもたちと滑り台を叩いて「振動」を通してコミュニケーションを取ったことをキッカケにして、聴覚を解さぬコミュニケーションの道が開ける。手話の習得にも積極的になり、愛していたドラムも「振動」によって続ける道を見出す。聴覚ではない方法で喜びを感じ、聴覚ではない方法で世界と繋がっていく。

 そうして、物語の中盤でルーベンはコミュニティで「何もしない」時間を持つことに成功する。欠けてしまったことに怯えて怒りを覚え、欠けている部分を埋めようと必死でもがいていたルーベンが、そのままの自分で一人、静寂を見つめる。何も失ってはいない、欠けてはいない。

 私がすぐさま点字の勉強を始めた理由は、この映画を観たからでもある。視覚ではない方法で喜びを感じ、視覚ではない方法で世界と繋がる手段が必要であると思った。

 すぐさま点字を学び始めたというと、用意周到というよりも、視覚の維持を諦めたとか自暴自棄だとか思われてしまうかもしれないが、諦めたのではなくて、むしろポジティブな要因の方が大きい。気を逸らそうとしている面もあるけれど。視覚を介さずにコミュニケーションを取る方法を身につけておくことが安心感や肯定感に繋がって、他の感覚を磨くことやさらなる勉強が出来るのだろうし、一人で真っ白(緑内障は視界が明るくなります)を見つめることも出来るのではないかな。点字を始めるということは、いつか来る視野との別れに向き合うことだ。今の私には物語に背中を押してもらうことが必要だった。『失明に関する所感』でも、世界を失ったときは失明したときではなく閉じこもってしまったが故にコミュニケーションが絶たれたときだった、という趣旨の語りがあった。

 ちなみに、緑内障にも患者のコミュニティ「緑内障フレンド・ネットワーク」がある。


 映画では、ルーベンが「聴こえないこと」を受け入れ始めたときに、恋人のルーが一人でも音楽活動を続けていることを知り、やはり自分は世界に置いて行かれているのだという思いを強くする。そして、ルーベンは再び聴こえるようになるため高額な手術を皆に黙って一人で決行する。人工内耳の手術だ。ルーベンは失聴したとき、最初にかかった医師から「インプラント(人工内耳)の手術はあるが高額で、重度難聴や失聴者には助けになるが使うにあたって手順がある」と伝えられている。人工内耳を得ても健聴であった聴覚を得ることは出来ない。

 視覚にも似た治療がある。完全に視覚を失っても、脳にインプラントを埋め込んで、目につけたカメラが捉えた情報を電気信号にして脳内で光のパターンを再現させ、人口的に物を見せるという手術が誕生した。原理を知るに、ろう者にとっての人工内耳は、盲にとってのこの失明治療の脳インプラントにあたるのではないかと思う。これも、治療と補助であって、治すものではない。今の医療ではそれは無理だ。

 インプラントで失明治療米国で臨床試験始まる

www.technologyreview.jp

 (ついでに書くと、緑内障の治療には点眼薬の他に手術もある。繊維柱帯切開手術とインプラント手術治療だ。大前提として、緑内障は治すことは出来ない。失われた視覚は二度と戻らない。出来るのは進行を遅らせる治療だ。手術もそうだ。点眼薬での治療でも進行を遅らせることが難しい場合、房水を排出してら眼圧を下げるため繊維柱帯という眼球内部の一部を切り取る手術をする。それでも難しい場合、繊維柱帯とその周りの組織を切り取る手術を。さらにそれでも難しい(または出血を伴う手術を避けざるを得ない)場合、眼球にチューブを差し込みそこから房水を排出するためインプラント手術を行う。手術で眼圧が下がっても、視神経が回復することはないし、基本的に点眼薬での治療はずっと続ける)


 手術治療の効果を理解して、手続きを踏んで、手術が無事に成功して、そして術後は快適に過ごしている人たちも沢山いる。補助器具などを上手く使ってより快適に過ごしている人たちも沢山いる。きっと人工内耳も同じなのだろうなと映画を観て思った。自分に合えば大きな助けになる。しかし、それは治すものでも健常者のそれを手に入れるものではない。ルーベンも、人工内耳を通した恋人ルーの歌声とその歌詞を聴いて、不可逆な変化はもう起きてしまった後だということを突きつけられる。

 残されているのは、今から失われるもの、または既に失われたものとどう向き合うか。

 ルーベンは、作中で何度も受容と反発を行う。それは難聴という状況に対してもそうだし、恋人にも、コミュニティにも、手術にも、音にも、ありとあらゆるものに対して行われる。ルーベンの心の動きだけでなく、作中を通して様々な要素で受容と反発が繰り返し描かれる。

 そして物語はラストに向けて、人は何に執着しているのか、という本質的な問いに迫っていく。ドラッグ、健康、仕事、日常、恋人、聴覚。なぜ執着するのか、それらを通して何かと繋がりたいからか、繋がりを麻痺させたいからか。

 終盤、ルーベンは恋人と別れる。愛し合っているが、手放す選択をする。今となっては二人でいることで互いに世界との繋がりを絶ってしまうことに気付いた二人は、互いに感謝を述べ、固く抱き合い最後に共に眠った。翌朝、恋人の元を去ったルーベンは、街の喧騒に揉まれる。

 ラストシーン、公園のベンチに腰掛けたルーベンは高く鳴り響く午後の鐘を聴き、鐘の音の先を睨むように見つめた後、人工内耳を外す。そして再び訪れた静寂を彼は今度こそ受容し、静寂にも受容されるのだ。

 作中、ルーベンを背後や横から映すショットが多く、なるほど「音」の多くは私たちが意識する外側からやってくるよね、ということを再確認させられる。ルーベンが静寂に向き合うとき、カメラは彼を正面から捉えている。ラストシーンもそうだ。

 ルーベンは「聴こえること」から解放される。静寂に居場所を見つけ、静寂を受容する。そして、世界と繋がる方法が自らから失われていないことを知る。手放すことで、ルーベンはこれからの人生を掴んだ。

 ラストシーンを観終えてエンドロールの曲を聴きながら、私はこの映画と自分の人生が、一瞬だけ交差したと思った。ラストシーンで、私は求めていた表象を一つ得た。私は折に触れてこの映画を思い出すだろう。居場所は喧騒の中だけでなく静寂の中にもあると。

 いつか私も「見えること」を手放すが、それでも何も私から失われてはいないのだと。


 『サウンド・オブ・メタル』の監督ダリウス・マーダーは現在46歳、主人公ルーベンを演じたリズ・アーメッドは現在38歳、ろう者コミュニティを運営するジョーを演じたポール・ラチは現在72歳。私が彼らの歳になったとき、視界がどうなっているかは分からない。先に書いたように、たぶん、将来的に私はこの映画を再生しても画面で何が行われているのか分からなくなるだろう。そのときは、ルーベンが恋人に告げたセリフを送りながら、この映画を手放そうと思う。

 「いいんだ。君は俺を救い、美しいものをくれた。だから、いいんだ」

 

 

 Happy New Year. 良いお年を。