舞台『死ねばいいのに』(& アフタートーク)感想

舞台『死ねばいいのに』

1/22と1/26の2回観てきました。

 

以下、ネタバレ含む感想。

 

●1/22 ソワレ

 私は京極夏彦作品が好きで、『死ねばいいのに』も好きな小説(高校生のときハードカバーの表紙イラストを待ち受けにしていた)なので、舞台化めちゃくちゃ楽しみにしてました。

 いざ舞台を観てみて、原作とはまた違った温度感の登場人物たちが新鮮で面白かった〜。

 今の時代っぽく単語や口調が変えられているセリフもあり、主人公ケンヤのアグレッシブさも加えられ、舞台ならではの熱量。
一方で、原作のじわじわ蝕まれるようや「厭さ」はあまり無かった。

 私は原作のその淡々とした不穏な部分が好きなので、今回の舞台では会話劇がしばしば剥き出しの怒声の応酬になってしまっている部分が少し物足りなかったな。

 
傾斜10度、椅子の並んだ八百屋舞台はそれだけで異質な雰囲気で、椅子ごとに時間や場所という物理的な拘束を飛び越えて様々な観せ方をしてくれて感動。繰り広げられる会話劇の深みを増すような舞台セットでした。舞台の使い方がめちゃくちゃ上手かった!!

 
座席はほぼド真ん中でした。チケットを取ってくれた友人に大感謝よ……。第3幕に登場する俳優陣のアフタートークも付いていて、舞台セットの椅子の扱い方などの小話が楽しかった。良い舞台だったな〜!


 

●1/26 ソワレ + アフタートーク

 原作者である京極夏彦先生のアフタートーク付きの回。本編は2回目の観劇。

 前回は開幕2日目だったこともあり長セリフを噛む場面も多々あったものの、今回は役者の皆さんかなり役が板についていて、より観応えがあった。

 
ケンヤの掴みどころのなさ(私は原作のここが好き!)と、ケンヤに尋ねられる関係者たちのヒートアップ加減の対比がよりハッキリしていて、舞台は上演を重ねるごとに変化があるから面白いなぁと感じた。

 そして今回はアフタートーク京極夏彦先生が登壇されるということで、めちゃくちゃ楽しみにしてたんですよ。
京極先生を間近で見てお話が聴けるなんて行くしかないじゃん?! ってことでチケット取ったんですよね (私は京極先生を実際に見るのはこれで4回目)。


 アフタートーク登壇者は、原作者の京極夏彦、脚本のシライケイタ、主演の新木宏典、司会のプロデューサー(お名前失念しました…)。


 京極先生が登場されたとき大拍手しちゃった。ド真ん中の席が取れて良かった…! 正面から見た京極先生、今日も素敵だった…!

京極先生は黒の着物に、帯/帯締/下駄/襟巻で赤を差し色にしていて、着こなしが可愛かったです。手元はいつもの黒皮の指抜き手袋。

 登壇してまず、八百屋舞台の傾斜(10度)が凄いねって話から入り、京極先生は「私なら下まで転がり落ちそう」と喋って一笑い起こしてました。
舞台については、「こういう話なんですよ。そのままです」と称賛されていた。


 舞台化の話は発売後からずっとあったものの、その度に東日本大震災やCovid禍が起きてしまい先延ばしになっていたらしい。

 その間に読み直してみると、自分では舞台化しやすい作品だと思っていたけど舞台化し難い作品だと気付いた、とのこと。
これには主演・脚本のお二人も同意されていて、会話劇で場面の転換もほぼないから舞台に向いているように見えて、登場人物が内心で考える独白の多い小説だから舞台にするのが難しかったと。


 登場人物たちはケンヤと出会い、アサミについて尋ねられ、自分の人生を振り返り、不遇を嘆いて、キレて、そしてケンヤに「ならさ、死ねばいいのに」と返され、己を鑑みる。
この一連の流れを6人分(最後のケンヤを除くと5回)するにあたり、舞台用にコンパクトにするため脚本は大変だったそう。


 上演時間は約2時間、各人20分で、出会ってから14分で感情をピークに持っていかなければいけない(ケンヤの「死ねばいいのに」後は6分)と構成の解説があった。

 1回目の観賞(1/22ソワレ)で、私は「原作の淡々としたじわじわ来る"厭さ"が無くて会話が怒声の応酬になっている部分が多くて少し物足りないな」と感じていたのだけど、限られた時間の中で登場人物を追い詰めてケンヤに「死ねばいいのに」とまで言わせなければならないわけで、このアグレッシブさは舞台化にあたって必要な演出だったんだな〜と、アフタートークを聞いて理解した。

 本作『死ねばいいのに』を書いたキッカケに話題が移り、京極先生は「私は小説家なのに書きたいものって特にないんですよ」と。
「だから言われたら書く。依頼されたらそれを書く。でも、本作の登場人物と同じように、私が相手に"どんな作品ですか"と尋ねても、編集者は私に何を書いてほしいのか言わない。聞いても言わない。自分でもわかってない」という趣旨の、笑い話のような愚痴のような話をする京極先生。

 
だから曲をモチーフにしたそうで、編集者から「この曲みたいな感じで」と曲を渡されて、それを聴いて書いたらしい。


 曲について京極先生は、「ここでその曲を皆さんに伝えたら、みんなそれを聴くでしょう?だから黙っておきます。……というのは建前で、なんの曲だったのか忘れました。これ14年も前の本だから、大昔だから(笑)」と続けて、笑いを掻っ攫ってました。

 タイトル『死ねばいいのに』については、「ひっどいタイトル」と言う京極先生。これは過去にも何度か仰っているので、ファンは聞き慣れた言葉ですね。


 京極先生は作品を書くとき、物語もキャラクターもタイトルも全部いっぺんに出来るらしく、この話にはこのタイトルしか浮かばなかったらしい。


 京極先生が本作を書いたのは14年以上前で、発売したのはiPadと同時期(ちなみに私は文庫を初版で買いました!)。単行本と電子書籍の同時発売をしたのでニュースになってました。
公共放送でこのタイトルが流れたし、講談社の建物にも、あちこちにこのタイトルの垂れ幕が……と苦笑いする京極先生。

 
「タイトルがタイトルだから、こんなに大々的にやると苦情が来るんじゃないか」と思っていたところ、その後すぐに東日本大震災が起きてしまい、「このタイトルを出しておくのは…(良くない)」ということで引き下げたと経緯を語ってくださった。

 「タイトルがタイトルなので…」と苦笑いしつつも、決して命を軽視する物語ではないと続ける京極先生。

 
「死ねばいいのに」の前に「ならさ、」が付くのが大事だと仰っていた。「死ねばいい!」ではなく、「ならさ、死ねばいいのに」で、この「のに」も重要だと。本作の「死ねばいいのに」は、「それでも生きる」という答えとセットなのだと、お三方で熱弁されていた。

 また、
舞台を観て、主演新木さんによるケンヤを「今の若者。ケンヤそのまま」と語る京極先生。
原作を書き終えてから時間が経っているので、改めて今回原作を考えることになったそう。

 
京極先生は、「ケンヤにその気はないが、あれはある種のセラピーみたいなものになっていて、みんな"生きよう"に立ち返る」という趣旨の話をされてから、「ケンヤに尋ねられた人たちは、あれから生き方を変えたと思うんですよ。だから、後でニュース見て"犯人お前だったのかよ!"ってなるでしょうね。特に佐久間は一番怒るでしょうね」と言って笑っていた。

 そして、なんと京極先生が「その後の登場人物を描く必要があるかもしれない」と軽口とはいえ言い始め、「死ねばいいのに、の続編を書かなきゃいけないかも」と仰った!! ここで会場では拍手が起きました。書いてください!! 


 タイトル案は「続 死ねばいいのに」「やっぱり死ねばいいのに」の二つが挙がっていました。続編があるならそれも舞台化しなくちゃね、とお三方で楽しそうにしているところでお時間。


 他にも小ネタとか、舞台上での動き方とか、いろんなお話をされていました。
「傾斜には転がり落ちそうになるけど下駄には慣れてるから転ばない」とか、「舞台化等のメディアミックスに関しては原作とどれだけかけ離れたものになっていても面白ければ気にしない」とか、「原作者も脚本家も俳優もスタッフも観客もみんなすごい!(拍手)」とか、「運動が苦手」とか、そういった話をされてました。
どのトークも京極先生がお茶目で楽しそうで良かった。

 舞台も面白かったし、アフタートークも大満足でした……京極夏彦先生を拝めて嬉しかった……。