『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』感想

『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』観てきました。

 

 

 ※この記事は『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』(2023)のネタバレを含みます。

 

 

 

 私の友人知人や古くからのフォロワーさんはご存知だと思いますが、私は『鬼太郎』シリーズがけっこう好きなんです。なので、鬼太郎がどうやって生まれたのかとか、目玉のおやじがなぜあの姿なのかとか、水木がどういうキャラなのかとかを、事前に知っている状態で観に行きました。

 そして観終わって、ゲゲ郎こと鬼太郎の父が作中の姿からミイラ男のような姿を経て結果的に「目玉おやじ」に至った理由を、既存の物語からこう翻案した(種明かしした)のはめちゃくちゃ良い選択だと思いました。

 私は『鬼太郎』が好きだし、水木しげる先生と水木作品も好きなんだけど、鬼太郎父の「体が溶ける不治の病」を患っているとされたあの姿は時代的に明らかに実在する特定の病気を表象したもので、あれは問題のある差別的な表現だったと言わざるを得ない。

 初掲載のときは病名そのまま載っていたし、当事者団体から苦言を呈された(目玉のみになっても子を見守る愛の具現化であることは評価されてもいる)という事実もある。

 なので、ゲゲ郎こと鬼太郎の父があの姿に至る理由が、病ではなく「(愛する者や友の生きる世界を守るため)狂骨の依代になったから」だったと書き換える、いや種明かしするのは「今この作品を世に出した意味」そのものだったなと思う。

 

 『ゲ謎』は公開決定の第一報から(思うところはあったけど)楽しみにしていて、観る気満々だったが11月が忙しすぎて今日まで観れておらず…。

 その間ずっとSNSで流れてくる「見どころ」や感想や二次創作を見ていて、早く観たいな〜とワクワクする気持ちはもちろんあったが、正直「"鬼太郎"でする意味あるのか?」とも思っていたんだけど、観てわかった。上記した"これ"のために今この時代にちゃんと鬼太郎のオリジンをやり直したんだな、と。

 これは『鬼太郎』を今後も通用する物語にするために、必要なオリジンの翻案(改変/種明かし)だった。水木プロの「鬼太郎もとい妖怪は昔の話じゃないぞ! 今も現役だし、これからも続くぞ!」という意思を感じる。

 今作『ゲ謎』は、過去の差別的な文脈を脱する狙いが成功しているし、水木しげる先生もきっとこの翻案に納得すると思う。

 水木しげる先生がご存命のときに刊行開始した大全集でも、差別的な表現や誤りのある描写については直したり注を入れたりする(京極夏彦が総監修)ことに水木先生は同意されていた。

 

 そして、本作が大日本帝国の亡霊を否定する物語で良かった。大義のために使い捨てられる弱き者の怒りを捉えた物語だった。その精神がなければ水木しげる作品ではないと私は思うので。

 ゲゲ郎こと鬼太郎父を含む幽霊族が、日本の栄光のために搾取されてきた歴史を明らかにして、幽霊族を明確に植民地主義の被害者として位置付けていたのが何より良かった。

 これにより、水木が「総員玉砕」という戦争の被害者であるだけでなく、水木もまた日本兵として他国(南方)を侵略し現地の人々の殺戮に加担した加害者であることを描き出していた。だからこそ、水木がゲゲ郎と邂逅することで自分の罪を認め、大日本帝国を否定し、贖罪として幽霊族(植民地主義の被害者)の子を守る選択をすることに、物語として大きな意義が生まれていた。

 あと、本作(およびアニメ鬼太郎6期)の狂骨にある「記憶を奪う」的な設定は、水木しげる先生の弟子ともいえる京極夏彦先生の『狂骨の夢』からだいぶ引っ張ってきていますよね?! ファンへのデカいイースターエッグだなぁと思いながら観てました。

 

 キャラとしては、水木とゲゲ郎のバディ良かったね〜人気出るのわかるわ。

 水木(キャラの方)はね、狂骨がこの国を滅ぼすのをゲゲ郎が止めようとしたときに「好きにさせとけ! お前(ゲゲ郎および幽霊族)が犠牲になり続ける必要ないだろ!」と、国よりも目の前の友を優先したのが本当に良かった。

 国のために「総員玉砕せよ」と命じられたとき、自分が言って欲しかった言葉を水木はやっと友にかけることが出来たんだよね。水木の中に巣食っていた戦争の亡霊はここで消えたんだなぁと思えた。

 で、狂骨によって水木の今回の記憶がスッパリ消えて、私たちがよく知る鬼太郎誕生に繋がるという展開も上手かった……。

 何回も書くけど、ゲゲ郎こと鬼太郎父が狂骨の怨念を引き受けてあの姿になったという新事実がね、この翻案が上手い。

 本作における狂骨は、龍賀家が目論み続けた「大日本帝国の繁栄(再興)」と「家父長制の維持」という大義に苦しめられた人々の怨念からできていて、水木とゲゲ郎がそれを引き受けて(水木は記憶をなくし/ゲゲ郎はあの姿になる)、それぞれに鬼太郎という子どもに未来を託すという。熱い反戦映画だった。

 

 以下は、気になった点を3つほど。

 性加害に言及しているしグロ表現もあるし、レーティングはPG12だと適切ではないかもとは確かに思う。アニメ6期(本作は6期の前日譚的な位置にある)を観ていたキッズが望めば観られて、なおかつ『鬼太郎』および水木しげる作品の長年のファンである大人たちも楽しめる作品にするためのギリギリな描写だなと感じた。

 また、女性キャラみんな(現代パートの猫娘を除いて)酷い目に遭っていて、鬼太郎母を含めて「子を産むこと」に作中の役割が偏っているので、そこは物語の構造としてグロテスクだなとも思った。

 そして最後にもう一つ。

 当主の時貞翁が孫ときちゃんの体を乗っ取ったことが明らかになった際に、時貞翁が使った外法の術名が「まぶい移し」だったが、これに琉球諸語である「まぶい(魂)」を使うのはどうなのか。琉球大日本帝国に侵略された地で、その植民地の位置にある土地の言語を、本作の悪役による「最悪の所業」と絡めなくてもよかったのでは…。というか、私は旧植民地ルーツを持つ者として絡めてほしくなかった。あの行為を名指す際に琉球諸語を使うなら、それさえも日帝植民地主義による悪行だとゲゲ郎には批判してほしかったな。都合のいいように使ってんじゃねぇよ、という趣旨のセリフを言って欲しかった。この作品においてゲゲ郎こと鬼太郎父には「日帝に弾圧された植民地の人々のメタファー」としての役割があると思うので……。

 

 

 とはいえ、私は満足です。

 ゲ謎を観て良かった〜、面白かった。良い映画でした。

 

 

 

 

※追記 2023/12/03 18:10

  ファンダムにおける、言及の偏りについて思うこと。

 

 私はあまりネタバレを気にしないタイプなので、『ゲ謎』をまだ観ることができてない時期に流れてきた感想や二次創作も(ネタバレ防止で伏せられているものも)気にせず読んでいました。
 で、昨夜やっと私は『ゲ謎』を観てきたわけです。

 上記したように、私が本作を「良い!」と思うは、鬼太郎のオリジン、特に鬼太郎父があの姿になる経緯が大幅に翻案されていること。そして、本作が明確に幽霊族を植民地主義の被害者に重ね合わせていることでした。

 しかし、それらについて触れている文章や感想は私のもとにほとんど流れてきていなかったんですよ、あれだけ人の感想やネタバレ投稿を読んでいたのに(SNSにはフィルターバブルがあるので、その影響もあることは理解しています)。なので、私は観るまで本作においてこれらの翻案が行われていることを知りませんでした。家父長制を批判していることを評価する投稿は、作中描写に細かく言及したものも結構流れてきてましたが。

 これを書いている今、『ゲ謎』はかなり盛り上がっている映画で、少なくない数の女性オタクがこのジャンルで創作活動していて、そこでは本作の持つ家父長制批判が評価されてもいます。しかし、本作の疾病差別や植民地主義への批判の精神は見逃されているのではないか? と私は感じてもいます。
 そして、それって本邦における「ホワイトフェミニズム」的な、言い換えるならば大和民族/和人/日系日本人しか権利の対象としない「やまとフェミニズム」的な盛り上がり方なのでは? とも思っています。

 これは私自身が『鬼太郎』シリーズ含む水木しげる作品の「オタク」の端くれであり、私も一応は本作を含む『鬼太郎』ファンダムの一員であると考えているため、自戒を込めて考えていることです。

 私が旧植民地ルーツを持つため、そうした言及の偏りに人一倍敏感であるのかもしれません。しかし、これはたとえ「考えすぎ」と矮小化されようとも、考え続ける必要があることです。植民地主義への言及が(明らかに)少ない現状があることは書き残しておきたいと考え、この追記を書いておきます。

 

 

 

※さらに追記 2023/12/13 14:55

 ファンダムで「英霊」という極右ジャーゴンの使用率が高まっていることについて。

 

 ラストシーンで、記憶を失った水木の側にボロボロの布切れを着た人影らしきものが映り込んでいることが発見されてから、この人影を「水木の戦友だった霊ではないか」とする感想が増えています。
 これ自体は納得できますし、私も「鬼太郎の母でないなら水木に憑いていた霊かな」と思います。水木に憑いていた(ゲゲ郎いわく「大勢憑いておる」)霊が、かつて戦時中に死んだ仲間の霊なのか、あるいは水木が侵攻先で殺した現地の人たちなのかについては、私は「両方」なんじゃないかなと思っていますが。(音声ガイドでは「兵士たち」と述べられているようです)
 そして現在、SNSに投稿される『ゲ謎』の感想には、死んだ日本兵のことを「英霊」と呼んで「守護神/守護霊」のように扱い、「(水木/鬼太郎母/鬼太郎という"未来"を)守ってくれた」と"考察"(感動)しているものが結構あり、私はこの惨状にドン引きしています。
 大袈裟ではなく、Twitter(現X)で「水木 英霊」とか「ゲ謎 英霊」とか(あとは「検索避け目的で使用される絵文字+英霊」とか)を検索すると、もはや結構な量の「英霊が守ってくれたんだ」という趣旨の感想が表示されるんですよ。
 日本軍の軍人を「英霊」と呼ぶことは、彼らを「優れた働きをした/国のために戦った」と見なすことです。本作では、水木を含め、「総員玉砕」の駒にされた彼らはむしろ「国のために死ぬこと」を否定するキャラクターとして描かれています。また、戦時中に日帝は「国のために死ぬこと=英霊になること」を「最大の名誉」に位置付け、本作でも描かれていた愚かな侵略戦争に国民を総動員しました。
 「英霊」は、大日本帝国の精神性がそのまま反映された言葉です。
 あれだけ明確な反戦メッセージが含まれた作品観て出てくる感想が「英霊」なら、もう、そういう人たちに何を言っても無理だなぁと思いました。本作を観た上で、自分の思考が本作で否定されてる側つまり帝国主義/植民地主義という極右思想であることに自覚がないだけでなく、さらに本作を安易な英霊崇拝に結びつけて自分の「英霊に感謝!」的な「愛国心」を満たす材料にさえしてしまえるのですから、もう何を言っても無駄なのでは…(ゲゲ郎も「話しても無駄な相手とは話さん」と言ってたし…)という気持ちになっています。
 上にも記述してますが、こういう盛り上がり方をすることは最初から危惧してはいました。
 ファンダムで本作の「家父長制批判」のメッセージは評価されていても、「植民地主義批判」のメッセージは見逃されていましたし。本作があれほど分かりやすく日本という「帝国/国家」そのものを批判しているのに、他人事のように「因習村」という特殊事例として扱うワードが流行っていましたし。
 本作がこういう「ゆるふわ極右」な層に愛好、というか利用されている現状を残念に思います。本作の持つ反戦/反植民地主義/反帝国主義/反家父長制のメッセージこそを受け取り、忘れず未来に繋げていく人が多くいることを願います。
 

 

 

※さらに追記 2023/12/25 06:50

 私が3週間前に書いたブログがなぜか昨日Twitter(現x)でちょっとバズっていたようです。読んでくださりありがとうございます。

 昭和を知る世代の男性だと思われてるっぽいコメントがそこそこあったのですが、私は女性で、20代後半です。水木しげる作品や京極夏彦作品が好きだったこともあり学部では民俗学を専攻してました。(今は主に文化人類学クィア理論を専門にしていますが、民俗学分野のこともやっています)

 本作を観た皆さんと同じように私も普通に生活してるわけですが、いつも私は植民地主義の名残を身近に感じています。自分の名前、言語、文化、生活の中にそれは今も生傷として常に立ち現れてきます。この国はまだ植民地主義を脱することができていないのだと実感しています。なので、水木しげる作品である『鬼太郎』シリーズ最新作で、ゴリゴリに侵略戦争に駆り出された過去を持つ水木というキャラや、搾取されてきた少数民族の末裔であるゲゲ郎というキャラが登場し、大日本帝国の再建という悪役の野望を否定する本作『ゲ謎』を、反植民地主義の視点から捉えた感想が少ないことに対してファンダムにおける言論のマジョリティ偏重を感じ、この記事を書いたわけです。(12/03時点では、本作と反植民地主義について書かれた感想が数えるほどしかなかったんですよ…)

 作中で水木という個人に大量に取り憑いている日帝軍人の幽霊を「英霊」と呼ぶことについては、私みたいな"反戦左翼"(こう言われてました。笑う)からしてみれば「日帝の侵略行為を護国行為として美化するな/日帝軍人を崇拝するな」案件だし、ガチの右翼からしてみれば「その霊が英霊ならば靖國で奉られているはず/靖國の招魂が不十分だと言いたいのか」案件だろうし(なんで私が右翼の代弁をしてやらなきゃいけないんだ)、歴史を舐めてる上にオタクとしても物語にも言葉にも敬意がなさすぎる最悪ムーブだなと思っています。

 本作のファンダムで英霊崇拝ムーブをしている人について私は「これ観た感想がソレならもう無理」と諦めの気持ちを書きましたが、知識がないだけなので諦めて放置するのではなく適切に理由を伝えれば軌道修正が可能な人も多いだろう、とのコメントもありました。それはそうだと思います。しかし、その「教育係」の多くは、旧植民ルーツの者や戦没者遺族などあの戦争被害の当事者が担っているのが現状です。私も思うところがあるからこうして書いているわけですが、「もう無理」と感じた人とは対話しないという選択を取ることにしています。 もしコメントした方がこの件についてマジョリティつまり大和民族/日系日本人であるなら、当事者に「対話を諦めるな」と言う前に、当事者が矢面に立たなければならない現状を改善するため、自分が積極的に対話するという「カウンター」をしてほしいな、と思います。

 あと、本作に登場する軍人に対する感想が「英霊に感謝」になるのは解釈や考察の違いではなく、誤読でしょう。

 ここまで読んでくださった方は、ついでにネットミュージアム水木しげる館」もご覧ください。読み応えあります。(私の師匠が協力しています〜)  https://www.artm.pref.hyogo.jp/bungaku/kikaku/mizuki/