『スパイダーマン: アクロス・ザ・スパイダーバース』の感想

スパイダーマン: アクロス・ザ・スパイダーバース』#spiderverse2 の感想。

 

 

この記事にはタイトル通り『スパイダーバース2』のネタバレを含みます。

 

 

 

まず、面白かった。絵柄も次元も超えて縦横無尽に駆け回るマイルズとグウェンとても格好良かった〜。失うことが運命なんて、そんなもの受け入れなくて良いのだ。

観る前はミゲル・オハラ(cv:オスカー・アイザック)が気になっていて、もちろんミゲルさんもいいキャラではあるんだけど、スパイダーマン・インディアとスパイダー・パンクが最高過ぎたな……。カメオ的に登場するあのバースとか、何度か出てくるTrans flagとか、細部まで楽しかった。

 

で、思ったことが一つ。

 これ、めちゃくちゃ移民の映画じゃん!!

 これ、クィアの映画じゃん!!

 規範の逸脱者、越境者の物語じゃーん!!

 

 

ミゲル・オハラの後悔って「他バースで家庭を築いてしまった」ことにあって、これって移民/非正規移民の苦しみとめちゃくちゃ重なっているので、ミゲルがメキシコ系アメリカ人であることが「ここが自分の居場所なのに勝手に引かれた線で家族や人生を奪われる可能性が常にある」っていう移民のメタファーとして切実なくらい機能していた。

目的があろうとなかろうと人は移民するときはするし、そして移民先で誰かを愛したり仲間や家族を持つことも当然起き得るんだけど、べつに悪いことしてなくても規範や秩序(勝手に決められている)から見て異端なら危険因子だと見なされ、そしたら自分の移民方法が「不正」だと見なされ、そして一瞬で全てが奪われる。これはミゲルの抱えている怒りや恐怖の根源で、移民共通のもの。

 

ミゲルもまたそうした越境不可という盤石な構造の被害者であることは間違いなく、ミゲルは己がその構造を揺るがしてしまったが故に家族を消滅させてしまった過去を悔やむあまり、もう誰にもこんな思いをさせまいという決意が構造に加適応してしまい、全ての越境を取り締まる側に行ってしまったキャラクターだよね。

ミゲルは、そもそも越境を良しとしない世界において、越境している(してしまっている)者として、構造を脅かさない「よい移民*」であろうと必死になっている。

 

 (*「移民のひとたちはよい移民、つまりモデル・マイノリティでなければならないのだろうか。求められている役割を演じなければ悪い移民なのか?」『よい移民』創元社, 2019)

 

マルチバースの移動というメタファーを通してミゲルは移民の「苦しみと怒りの歴史」を体現してるから、次はグウェンとマイルスで「現状の打開」と「未来の希望」を描いてほしい。そういう構成になることを願ってる……

というより、住む次元が異なるグウェンとマイルスの間に友愛にせよ恋愛にせよ絆が芽生えていて、マイルスが次元の越境から生まれた人生を歩んでいる以上、越境を肯定しないことにはこの絆も二人の人生も「悪」となってしまうわけで、そんなの絶対に間違っているわけですよ。

 

ミゲルみたいな移民メタファーのキャラがいて、ホービーみたいなアナキストのキャラがいて、パヴィトラみたいな植民地主義に異議申し立てするキャラがいて、ジェスみたいな妊娠した状態で越境を行う女性(子どもが越境先で生まれる可能性がある)キャラがいて、グウェンみたいなトランスジェンダーの権利を支持するキャラがいて、POCのキャラがいっぱいいて、主人公マイルスみたいにミックスルーツのキャラがいて、マルチバースを行き来するキャラが多数いる。

すでに越境している人、越境の上に存在する人、引かれた線に納得がいっていない人、引かれた線に当てはまらない人が、今までもこれからも存在しているのだという様をここまで描いているのだから、次作が「越境の肯定/規範の否定」というオチじゃないと私は納得いかないかもしれない。

何かを越境するときはお行儀よくしましょうねとか、越境はやめときましょうねとか、そういう読み方ができる物語にだけはならんといてほしい………

ミゲルもスポットも本当ならマイルスと共闘できるはずで、真の敵は越境を許さないこの世界の構造であるという方向になって、ミゲルやスポットにも救済があったなら私は喜びのダンスを舞います。

 

前作のヴィランであるキングピンは、個人的な目的のための手段が世界崩壊を招くため悪として断罪された。その目的もまた、他のバースの家族(自分のバースでは死別している)を呼び寄せるというもので、相手の許可がない以上は強制移住や拉致に等しいため、移民史の観点から見てもやはりヴィランだよな、と思い出すなどもした。

己の願望のために他者を強制連行してはいけない。それは越境/移民を肯定したとしても揺るがない。

本作でミゲルが言及していた、MCUでのドクター・ストレンジによるマルチバースへの干渉も、ワンダの行為は「子どもを呼び寄せる(拉致)」、ピーターの行為は「戻ったら殺される人の救済(難民の受け入れ)」と見ると、マルチバース越境を現実世界の移民のメタファーとして解釈することと、その善悪の軸足の認識が可能な気がする。

 

 

テーマが「運命に抗う」で、その運命は実質この作品では「越境不可の世界」と「その世界によって死が定められた人がいること」なので、マイルスたちの本来の敵は越境を許さず死を強要する「(物語の/世界の)構造」とそれを支える「大きな力(脚本/権力)」だけど、その敵が出てこないのは今作の難点だと思う。

続き物だから仕方ないとはいえ、今作は苦しんでる者同士で内輪揉め内部分裂を起こして終わってしまったので、次作でこれが解決することを願う。

構造と権力があまりにもデカすぎるから見えなくなってて(見えても倒し方が難しすぎる)、それに搾取される側でパイの取り合いしてるの「現実」すぎてツラいので物語パワーでそこ超えていってほしいよ……次作……

 

革新的な映像表現も勿論楽しみだけど、あまりにも当然のように存在している一方的な線引きという構造と権力を解体するためのアイデアとか、はたまた解体への鼓舞とか、私はそこにこそ『スパイダーバース』シリーズの物語としての「新しさ」を期待している。

でも、「なんか世界って色々と勝手に線引かれてるけど、これ越境できないのおかしくない? 越境してこーぜ!! 俺らは越境してくぜ!! 君もついてきな!!」って観せるだけでも現在ではまだまだ充分に価値ある試みなんだろうから、この問題提起ブチかまして発破かけて終わるのもアリだろうなとも思う。

次作に期待。

 

バンバン越境していきましょう。私たちは引かれた線を飛び越えて手を繋げる。

 

 

 

 

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次作で気になっている点のメモ。

 

『スパイダーバース』における警察描写がプロパガンダ的であるという指摘

The messy politics of 'Spider-Man: Across the Spider-Verse'

https://www.dailydot.com/unclick/spider-man-across-the-spider-verse-copaganda-police-politics/

グウェンがトランスジェンダー・アイコンになったこと、またグウェンがトランスであるという考察

Spider-Man fans are convinced Gwen Stacy is trans in Across the Spider-Verse. Here’s the evidence

https://www.thepinknews.com/2023/06/05/spider-man-across-the-spider-verse-gwen-stacy-trans/