『ローガン』感想と考察

『ローガン』(Rogan)


ネタバレ有。



老いたチャールズには老化によるアルツハイマー等の健忘症、またはライス博士らが秘密裏に世界中の人々に摂取させた"遺伝子異常を治す薬"の副作用が起きていて、それによってチャールズは発作的に能力を抑えられなくなり、劇中にあるとおり周囲の人々の活動を(時としては呼吸までも)止めてしまう。

ホテルで(ローラを守るためであったとはいえ)チャールズが人々を停止させた後、逃げる途中に車のラジオから流れるニュース速報で「ホテルで謎の集団麻痺が起きた。似た事件が過去にウエストチェスターでも起きたことがあり、それにより数人のミュータントが死亡した」と報じられている。ウエストチェスターは、チャールズが運営していたミュータントのための学校でありX-menの本部であった「恵まれし子らの学園」の所在地である。

田舎であの家族の家に泊めてもらった夜、チャールズは「一年前、自分が何を起こしたのか思い出した。自分なんかに幸せな空間は勿体無い。私もローガンもその事件から逃げているのだ」と吐露する。作中ではチャールズは「世界で一番危険な脳の持ち主」「大量破壊兵器」と言われている。

おそらく、老いたチャールズは能力を制御できないことにより人々の活動を停止させてしまい、そのとき(ミュータントを見つけることに優れた能力がアダとなり)ミュータントを殺害してしまったことがあるのだと思われる。

ローガンが何度もチャールズがミュータントと交信することを怒るのも、それによってチャールズがミュータントを殺害してしまった過去があるからだと考えるとより納得がいく。

一年前、チャールズは能力の発作でミュータントを殺害してしまい、動けたローガンが彼を止めた。チャールズは世間から危険な殺人鬼として見なされたはずだ。だからローガンはチャールズを死んだことにして、あの場所に匿った。

俗世と離れ地下で生活していたのが幸いしたのか生き延びたキャリバンとも出会い、日中行動できないキャリバンにチャールズの世話を頼んで、ローガンが個人タクシー運転手として働きに出た。生活費のために、チャールズの能力を抑える薬のために。

そして、チャールズが暴走しても大丈夫な遠い海の上で、チャールズと暮らし、チャールズを看取る、そのための船の購入資金を貯めるために。

ローガンは自らの謎の体調不良を、体に流し込まれたアダマンチウムへの拒否反応が今になって発露したものだと思っている。

自分の異変も、チャールズの異変も、他のミュータントが突然死に絶え始めたことも、もう25年もミュータントが出生されていないことも、ローガンはそれらを「ミュータント遺伝子(能力)のせい」だと思っている。人間の突然変異によって誕生したミュータントが、また同じく予想もつかない人間の突然の何かによって自然に淘汰されていっているのだと思っている。不死身であった自分も例外ではないのだと。

だからローガンは「ミュータントは誇りだ、能力は神の贈り物だ、と言っていたな。もしかすると、神は俺たちを作ったのは過ちだったと思ってるのかもしれない(だから今さらになって淘汰するのだ)」と愚痴をこぼす。

そのローガンが、ライス博士の「"治療薬"を秘密裏に色々な食品や飲料に混ぜて世界中にばら撒いて人々に摂取させ続けたら、ミュータントが死んで、ミュータントが産まれなくなったのだ」という言葉を聞いたときの気持ちは察するに余りある。

自らの運命だと思っていたものが、この男ライスによって引き起こされたものだったのだ。

ローガンは銃が嫌いだ。しかし、その銃を以ってライス博士を殺す。ミュータントである自身のウルヴァリンたる爪ではなく、人間の創造物である銃で、殺戮の道具である銃で、己の創造物である薬を使って密かにミュータントにバイオテロを仕掛けたライス博士に復讐する。


西部劇『シェーン』から、「人を殺した者は、理由はどうあれ永遠に人殺し扱いされる。ママに伝えてきなさい。もうここに銃はない」というセリフが作中何度も引用される。

人を殺めてきたローガン、一年前の事件で人を殺めてしまったであろうプロフェッサー、人を殺めさせられてきたローラ、彼らにとって『シェーン』のこのセリフはどう響いたのか。

『シェーン』は、流れ者のシェーンがたまたま雇われた田舎町で、横暴な悪徳牧場主を成敗しヒーローとなるが、そのまま町を去ってしまうストーリーだ。

悪徳牧場主など、流れ者のシェーンに関係なかったはずだが、この町で働くにつれてシェーンには少年と、その母親との間に絆が芽生えてしまう。だからこそシェーンは命を賭して闘ったのだ。少年はシェーンに憧れておりガンマンという職業(または銃の格好良さ)に惹かれているのだが、その少年にシェーンは上記のセリフを告げ、町を去る。そのあと少年は言うのだ、「シェーン、カムバック!」。

ローラは、自らと仲間を助けてくれたローガンを慕っている。父としても愛し始めている。そして、同じ能力を持つ者として、ローガンと同じように闘う。

ローガンは死という形でローラの元から去ってしまうが、ローガンが伝えたかった言葉はローラが代弁してくれた。

「人を殺した者は、理由はどうあれ永遠に人殺し扱いされる。ママに伝えてきなさい。もうここに銃はない」

ミュータントだからといって、父と慕う人だからといって、俺のようにはならなくて良いのだ。罪を背負わず、愛する人たちと平穏に暮らしてくれ。…と。

ローラはローガンの墓の十字架を斜めに掛け直し、安全な地へと旅立つ。ローガンの墓には十字架ではなく、Xが掛けられている。ローガンも、かつての家族であり仲間であったX-menの待つ場所へ帰れたのだ。


劇中で、ローガンが何度も「これは現実だ」「現実は○○だ」と言う。夢物語のようにはいかない、これは現実だから。現実には痛みが伴うのだ。現実に裏切られ続けたローガンからの、愛のある助言だと思う。

それでも、ローガンは「コミックスのエデン」に向かう。

チャールズは映画を懐かしむ。ローラはコミックのファンで、映画のセリフに心動かされる。実験施設から逃げ出したミュータントの子供の中には、コミックのウルヴァリンのフィギュアを持っている子もいた。

現実に傷つき、夢物語を唾棄しながらも、その夢物語に救われる部分があるのだ。

フィクションはあくまでフィクションだが、それが誰かの心に響き、時として現実をも変えていく力を持つ。

X-men』は、現実で起きているマイノリティが抱える問題や差別をセンセーショナルに描き、創作という表現を用いて現実の問題と闘ってきたコミックである。もちろん、FOX製作の映画『X-men』シリーズでも差別問題がテーマの1つだ。この映画の様々なシーンで、そういったX-menの歴史を感じさせられる。

『ローガン』は普遍的な愛の物語でもあり、罪を背負いそして許し合う希望の物語でもあり、創作の世界を愛する人々への優しい鼓舞の物語でもあった。




※私のツイート(https://twitter.com/ubuhanabusa/status/870214818493415424?s=21)をブログに載せ直したものです。