『オールド・ガード』の感想

『オールド・ガード』の感想
 
※この記事には『オールド・ガード』のネタバレが含まれます。
 
配信初日に観てどハマりしてずっと『オールド・ガード』の話ばっかりしてるけれど、あのラストの展開には不満がある派です。 
 

『オールド・ガード』ラストのアンディたちが不死者になった理由は人類史の発展に貢献するためだったという展開への感想。

「アンディたちが救ってきた人々が人類史に貢献した。アンディたちが不死になった意味はこれなんだ」って、これまでアンディたちが何千年もひたすら愚直に人助けしてきたことの功績が認められるのは喜ばしいけれど、その称え方とその理由付けはあまりに成果主義的で、ここまでの物語と矛盾すらしてないか。と思ったため。
以下、この「不死者になった理由」について色々。

ナイルに「あなたたちは善人?悪人?」と問われたとき、「時代による」と返していたのがアンディたちの立ち位置として示唆的。素直に受け取ると「時代によっては当時は"正義"とされていた迫害などに対立した」や「時代によっては神と崇められたり悪魔と憎まれたりした」等の意だろうけど、穿った見方すると「現代の倫理観で考えると完全なる悪行を後押しした過去がある」とも取れる。
「Depends on the century. (その世紀による)」って答えてるんだよね。少なくともニッキーは十字軍として異教徒に戦争を仕掛けた側であるという自身の過去に思うところあるだろうし、ブッカーも当時の戦争を現代の史観で捉え直したときの侵略性を理解しているだろうから、こういう答えなんだろうな。
ナイルも米軍人だし、アンディもジョーもニッキーもブッカーも元軍人(兵士)で、「時代や国に裏打ちされた"正義"」というものを背負っている、または背負っていた。そうした「時代に依存する(Depends on the century)正義」から不死性を得ることで逃れたとき、「人助け」という普遍的な善を行い続けることを選べるのは素直に立派だなと思う。
人間つまり「実在が本質より先立つもの」として産まれて生てきたのに、死を経て「時代に裏打ちされた"正義"」から解放された後は、かつて自らがそうした「正義」として下した選択への贖罪に身を捧げる事を選んで、「本質(人助け)が実存に先だつもの」と不死者つまり自分自身を定義して「人助けの道具」として生きるの、心が強すぎる。精神が強靭。
そりゃブッカーのように「自分も人として終わりたい、仲間を人として終わらせてやりたい」という願いを持つ人だって出てくるだろうし、それを動機として不死者研究(不死者にする/人間に戻すの可能を目指す研究)に協力する人が出てくるの分かる。ブッカーはやってはいけないことをしたけれど、彼が比較的若く(18世紀産まれ)近代医学や科学にも親和的であることや、あと自分自身をあそこまで強く「人助けの道具」と割り切ってそれに徹する精神的負担を考えたら、ブッカーがいっときとはいえあの道を選択してしまったことには同情しか出来ない。
アンディたちは「不死になったことに理由なんてない、考えるだけ無駄」と言うけれど、そう達観しながらも「死の時が来たら止められない」という謎の掟には諦めに似た恐れを抱いてる。クインが溺死という地獄の苦しみを500年間味わい続けながら一向に「時」が来なくて不死のループから解放されないことにだって、みんな怒りすら抱いている。考えることを放棄したようでいて、その実はみんなその答えを求めていた。
それでも、何千年も、自分たちの人生をかけて、文字通り何度だって命をかけて、ただ救える命を救うことに徹してきた。最も根本的な他者への善行を、命の続く限り行おうと。だからこそ彼らは「オールド・ガード (古の守護士)」であり、胸を張って「己の正義に従う」と言えるのだろう。
しかし、ラストでコプリーが、アンディたちが救った人間が人類史にいかに貢献したのか史料を見せて言う。「When you think about how old you are, the good you’ve done for humanity becomes exponential. (あなた達の年齢を考えると、あなた達が人類にもたらしてきた善行は莫大なものだろう)」と。そしてナイルが言う、「Maybe this is the why, Andy. (たぶん、これが理由だよ、アンディ)」。
私は思った。……え?!
人を救うのは、その人が何かに貢献する人材だからではない。
アンディたちが救った人々が人類史の発展に寄与しているという事実を前にした「不死者になったのは人類史の発展を助けるためだ」という理由付けのセリフは、アンディたちの数千年の救命の歴史を、いっきに成果主義あるいは予定説めいた運命論に押し込める、雑なオチなんじゃないかと思っている。
(ただ、新人ナイルと人間コプリーから「人類の歴史にあなたたちがいて良かった」と歴史の影であったこれまでの功績を称賛されたのは、アンディたちにとって喜ばしいことだっただろうし、長い年月へのせめてもの祝辞にはなったんじゃないかなと思う。)
その直後、アンディが「We don’t have all the answers, but we do have purpose. (私たちは全ての答えは持っていないけれど、目的は持っている)」というのが救い。不死者は人類史に貢献するため選ばれたんだよ、という無邪気な選民思想をあくまで褒め言葉として受け取るにとどめて、「私たちが不死になった理由はまだ分からないけど不死になったからには私たちにはやるべきことがある」と、再び「人助けに生きる」ことを宣言する。
もうアンディたちに「理由」なんかいらないんだよね。そんなの自分で決めていいって分かったから。だから今度は不死者として、人間として、人間を救うことを選ぶ。高潔!
このあたりのアンディとコプリーとナイルら三者のセリフのやり取りで、なんとか上手いことラストまで倫理観ブレずに話を運んでいると思う。けれど、こんな気の回し方するなら「結果として人類史の発展に貢献してるからあなたも存在してる意味あるよ」みたいな暴論を入れる必要あったかな…。まあ歴史ロマンとしての隠された英雄は格好いいし私もそういうの好きなんだけれど…。
いずれにせよ、あの「アンディたちは人類の発展に貢献する人物だから不死者として生かされているのだ」というセオリーは、(続くセリフでアンディがやんわり回避してるけど)かなり危うい。
悪役(製薬会社CEO)の「人類の発展のためならマイノリティは犠牲にしてよい/非人間扱いしてよい者がいる」という超ド級の優生思想に、「人類の発展を助けた人は存在意味がある/"生産性"がある者は生かされる」というこれまた超ド級の優生思想をぶつけているだけにしか観えなくて。このあたりのセオリーは正直怖いです。
そのへんの選民思想や優生思想へのNOは、今作でやったことと地続きで続編ではさらにガッツリやってくれると信じてる…。

というラストの展開のモヤモヤを踏まえても、それでも好きです『オールド・ガード』。
アンディとクインの熱いシスターフッド、百合。アンディとナイルのgirl meets girlな師弟関係。弱みを吐露することを恐れずtoxic masculismから降りるブッカー。そして堂々と愛し合うゲイカップルのジョーとニッキー。
『オールド・ガード』はアクションものかつヒーロー映画として王道をいきながら、確かに新しくて観たかったものを観せてくれた。最高の映画なので…🙏🏼
続編ありますよね、待ってます。