『ミッドナイト・ゴスペル』ep2の考察

『ミッドナイト・ゴスペル』(The Midnight Gospel)のep2


ネタバレ有

2話目を観たので考察とかメモ程度に。


テーマは『オクジャ』と同じでアニマル・ライツと食肉の倫理に関する問題。

食肉産業の実態から目を逸らすための麻薬の名前が「ナマステックス」なことや、食肉加工される動物(犬と鹿の混ざったみたいなやつ)たちがヒマラヤ山脈の周辺国(インド/ネパール/パキスタン/ブータン/中国)に言及しているのは、その地域は牛や豚(畜産において最も環境負荷ガスが発生する)を食べない文化(ヒンディーとイスラーム、あるいは仏教)が根付いているからかな。‬

食肉加工される動物はキリスト教的な思考をベースにしているようで、見た目の美しさを「他の人よりも神に愛されているから」と言ったり、死の訪れを「そういう運命だから受け入れるしかない(どんなに理不尽でも)」と言い、自らが殺され食肉加工されることを受け入れてみせる。キリスト教圏(ここでは食肉産業の盛んな"先進国"である欧米諸国を指しているのだろう)に根付く人間のみを高尚とするエゴイズム、種差別(スピーシズム)を皮肉る絶妙な会話劇。

冒頭では、主人公は可愛い動物(ピエロの赤ちゃんみたいなやつ)がデカい動物(食肉加工される犬鹿モンスター)に食べられる自然の摂理を見て「やめろ!可愛い動物を食べるなんて可哀想だ!」と叫ぶ。まさに、愛玩動物は愛でるが食用とみなした動物を搾取し殺戮し続けている人間社会の矛盾を、一瞬で映し出す良いシーンだった。


シェリー・F・コーブの『菜食への疑問に答える13章』では、「食肉自体は文化であり倫理的に否定できないこともあるが、飽食の食肉産業社会を生きる場合においてはその限りではない」という理論で倫理的菜食を推奨している。つまり、自分が何を食べるかという食の選択が可能で、「動物を搾取し環境破壊すること」を止めるか続けるか選べる立場にあるのに、尚も食肉を続けている場合(日本も食肉産業社会なのでこちら側ですね)は、食肉はアニマル・ライツの上でも環境問題の上でも倫理的によくない、ということ。


今回の対談相手(食肉加工される動物の声)Anne Lamottはノンフィクションライターで、自身のアルコール依存症や信仰について赤裸々に書くことに定評ある作家。しかしその発言は度々物議を醸している。

また、トランスジェンダー女性を「男性扱い」するなどトランスジェンダーに差別的な人物でもあった。(後に該当のツイートがトランスジェンダーに差別的だったことを認め謝罪している)※https://www.elephantjournal.com/2015/06/anne-lamott-tweets-about-caitlyn-jenner-gets-schooled-by-her-son-what-we-can-learn-from-them-both/

今作での発言からも分かるように、彼女自身の信仰観(キリスト教)は革新的でもあるが、ルッキズムや人間中心主義的な部分では結構保守的。

この人との対談に合わせて、キリスト教の教えに潜む差別的価値観に切り込んだアニメを制作してみせたのは凄い。

ミッドナイト・ゴスペルは極彩色のトンチキ好き放題アニメに見えて核心となるテーマがガッツリ時事問題で啓発的なのが良い。Wokeな作品のど真ん中を行ってる。




※ツイートしたもの(https://twitter.com/ubuhanabusa/status/1253644690684952576?s=21)をブログに載せ直してます。